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というのが溢れている

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というのが溢れている

一休宗純(幼少期はとんちで有名な一休さん)の正月を表現した狂歌に
「門松は 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」
というのがある。
世間の人は、正月をめでたいものとしているが、
門松は、冥土につくまでの一里塚のようなものだと皮肉っている。

そんな目で、世の中を見ると、門松に限らず
「めでたくもあり、めでたくもなし」
というのが溢れている。

先日、大騒ぎしたものに金環蝕がある。
日本の広範囲で、専用メガネをそろえて宇宙が織りなす
大スペクタクルに日本国中、ちょっとしたフィーバーが起こった。
このように日本の広範囲で金環蝕が見えたのは、
900年ぶりだとか。
このような時代に生きて、何と恵まれていることかと
つい、めでたいという気持ちになる。

900年前の金環蝕を探ってみると、それは1183年のことだった。
その時代背景を如実に表している文学作品に、
鴨長明『方丈記』がある。
冒頭部分ばかりが知られているが、
彼が著したものをよく見ると、碌(ろく)なことがない。

安元三年(1177年)には、都の三分の一を焼き尽くす火災。
治承四年(1180年)の、竜巻被害。
水害および飢饉となり、元暦年(1185年)には、大地震。

これは偽りのない事実を列挙しているのだが、
フィクションじゃないかと疑いたくなるほどに
天変地異に溢れている。

方丈記に表されている惨状は、
金環蝕を前後して、わずか10年足らずの間に起こったこと。

そのような気持ちで、空を仰いでみれば、
900年ぶりの金環蝕、めでたくもあり、めでたくもなし
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